カテゴリ:2005( 1 )

表現するとゆうこと

今日は思いっきり寒い文章を書こうと思います。

今日、ものすごいビッグニュースを聞かされたってゆうのと、
今、自分が人生で一番最悪な状態にある、とゆうことで、
とてもライヴどころではない、まさに”情緒不安定”ながらも、
ライヴに挑んでみました。
さらに加えて、今、高山なおみのエッセイを読んでるせいもあって、
何もかもさらけ出したい気分なのです。
この文、あとで冷静に読んだりすると、ものすごい寒さなんだろうなあ、
と思いながらも惜しみなく書きます。

表現するとゆうことは、自分に素直になること。
これが、うちが今までいろいろ表現するって何だ?と考え続けてきた、
現時点での結論です。
少なくとも今は、この言葉に尽きます。
ほかにもいろいろな要素はあるけれども(表現するためのテクスチュアとかね)、
基盤は”素直”です。
先入観とか他人の目とかヘンなプライドとか、そうゆうものをできる限り排除して、
本当に見えるもの、やりたいこと、感じたこと、思ったことを
できるだけその新鮮さを保ちながら(または活かしながら)頭で考えて表す。

もううちは、何かを表現することでしか生きてゆけない身分なので、
(だと思い込んでるだけなんだけど)
表現することがイコール生きることなわけなんですが、
そうなると、「素直に生きる」になるわけです。

でもこの素直に生きるのって、相当時間かかるなあ、と思う。
うち、ぜんっぜん素直じゃない。
ほんとは冒頭に書いた”人生でいちばん最悪な状態”とかも
みんなに話したいけど、話せない。
こんなに何でもかんでも言ってるように見えるうちでも、
やはり誰にも言えないことがあるのです。
ごく一部の親しい友人にでさえ隠し続けてる感情だってあるのです。

そしてうちは、自分より素直な人が本当に大好きなんだと今日わかりました。
うちはえげつない人間なので、他人と話をするとき、
かなりの心理的かけひきをしています。
うちがこうゆう態度をとったら、この人は一体どうゆう反応をするだろう?とか、
こうゆう質問や話題に、この人はどうやって答えるだろう?
そのときの声のトーンは?、癖、体の向き、目線、会話の間は?
と、相当ことこまかに観察してます。
そうして厳選なる自己オーディションをした結果、
「この人、本気だな」と思える人には、自分もできる限り心を開いているつもりです。

(そう考えると、けっきょく”自分が素直である”と思えるには、
 他人を利用するしかないのかも。
 自分で”素直だ!”と思い続けられる勘違いさんはもう論外として。)

正直うちは今日まで、本気でちょっとチェロ弾くのをしばらく止めようかと思ってました。
チェロのために上京して、クラシックに挫折し、
(ってゆうのもうちが勝手にそうゆうふうに決めただけに過ぎん。ただ諦めただけです。)
うちの掲げてた目標があっさりなくなってしまったのが一年前。

東京でいろんな人と知り合って、その人達のおかげで
今までとは違う環境で演奏できたりして、それは本当に楽しかったしうれしかったし、
何より「弾く場所がある」ってだけでかなり救われました。
でも、まだなんとなくしっくりこないでいたのも事実。

自分のやりたい音楽性と、一緒に演奏する相手の音楽性と、
どっちかに合わせるんじゃなくって、どっちも尊重し合える、とゆう
かっこいい”セッション”を本気で信じてたから(今でも信じてるけど)、
今まで一緒に演奏した人達とは、そのような音楽になるように演奏したつもりですが、
よく考えてみれば、そんなこといきなりできるほどの
経験も柔軟性もうちは持ち合わせていませんでした。

うちは大人にはなりたくないけど、表現者として生きる以上、
何も考えずにできちゃった〜系の子どもっぽい行き当たりばったりの
勘違い才能的な表現だけは絶対にやりたくないのです。
真剣に表現することを考えるまでは、
それこそが”芸術”であり”才能”であると思ってたから。

でも、芸術ってもっと基盤があって着実で、ちゃんと答えがあるもの。
その答えはすごく遠いし、さまざまだけど。
でも、決してわけわかんないものでは無い。
どんなに適当に見えたりラフだったりでも、必ずどこかにリズムがある。
答えなんて別にわからなくてもいいし、探す必要もないのだけど、
”なんとなく”感じられればいいんだと思う。
それが表現者の意思なんだと思う。

とかいろいろ考えていると、うちには表現するなんてまだまだ器が小さすぎる。
ぜんぜん人間がなってない、もっともっといろいろ経験して考えて感じて、
それをちゃんと身にしみさせてずっと頭に記憶させなければ。
チェロを弾くのも大事だけど、ほかにももっとやることがあるんじゃないのか?
と思いはじめたら止まらなくなりました。

と、そこで4年前の大学卒業時を思い出しました。
彫刻をやってたつもりはあまりないけど、”アート”は一応やってた気がします。
確かあの時も、
「卒業してからも彫刻を続けるほどの根性も熱意もない。
 表現はこれからもやってゆくだろうけど、
 アートをこれからも続けるには、人間としての器が小さすぎる。
 とにかく、今いちばんやりたいこと(チェロ)をやることにしよう!」
と思ったんでした。

わけわかんなくなると、咄嗟に何かに救いを求めようとするんですね。
普通に現実逃避の弱い人間です。
目標さえあれば、とりあえずなんとかなると思っていたんですね。
でも今は、4年前よりはいくぶん大人になっている気がするので、
同じことはしないようにしてみました。

卒業してからの4年間でわかった(かもしれない)ことは、
表現することのほかにもうひとつあります。
才能とは、続けること。

弾くのを本気で止めようとした今日に限って、
冒頭のビックニュースの知らせを教えてくれた
”大切な友人”(←もう一生使わないと思う。こんな言葉)から
「チェロを弾いてほしい」と頼まれたので、承諾しました。
もう、そう簡単には止めさせてくれない環境にしてくれている
まわりの人々に、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

追伸:
今日のライヴは、良いものあり酷いものあり、とゆう感じ。
とくにこの良いものを見ていた時に、うちはじんわりと焦燥感におそわれて、
こんな長たらしい文を書くことになってしまったのでした。
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by uncoblicco | 2005-12-18 01:23 | 2005


世界中の自然の音や日常の音を録音して廻り、チェロの音と合わせた作品を作ってたのは過去の話。うんこ記録も終了。現在アフリカ目指してパリ在住。


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